(講師経歴)  澤江先生のご専門は「発達障害児の運動発達支援」です。筑波大学大学院修士課程体育研究科を修了後、横浜市リハビリテーション事業団北部地域療育センターに児童指導員として勤務をされました。2002年には東北大学大学院博士後期課程教育学研究科を修了し博士号(教育学)を取得され、その後、文京学院大学人間学部保育学科 専任講師、筑波大学大学院人間総合科学研究科体育科学専攻 講師等を経て2012年より現職でいらっしゃいます。  著書は『DCD・不器用な子も楽しめるスポーツがある社会のために: 運動に悩む子・先生・コーチへのメッセージ』『発達性協調運動障害[DCD]:不器用さのある子どもの理解と支援』などがございます。    (講師)  はい、ありがとうございます。今ご紹介いただきました、澤江です。どうぞ、よろしくお願いいたします。まず、ちょっと簡単になんですけれども、自分の紹介をしとこうと思います。一応大学の先生をやっています。体育の教員を目指している、またはスポーツ指導員もしくはスポーツ関係の仕事に就きたいなと思っているような学生を前にして、いろいろと教えています。教えている内容は、障害のある子どもや障害のある人のスポーツ、体育、運動に関する内容です。最近、少しずつ定着して、まだしきれてないんですけれども、アダプテッド体育とかアダプテッドスポーツとか、そのアダプテッドということその方法論についていろいろと研究をしています。その一方で、ですね、ちゃんとこう大学の方からも「しっかりとそうした学生の指導もしっかりしろ。」というふうに言われているんですけれども、結構現場に行っていることが多いですね。こうやって、ちょっと見ていただくとあれなんですけど、先ほど紹介あったように横浜の療育センターで就学前までの障害のある子どもとずっと関わっていたものですから、そうした子どもへの関わりというのは今でもずっと続けて療育センターを辞めて東京の方に勉強しに行くことがあって、その時に園長先生に言われたのが「現場を忘れるな」と「ちゃんと現場とつながっていなさいよ」というふうに言われたものですから、それ以来、ずっと現場と関わらせてもらっています。ここ、今下に書いてあるんですけれども、これは今現在やってるような活動ですね、それ以外にもいくつかあるのですけれども、筑波大学って筑波の方にもあるんですけど、東京にもあるというのは、東京でもちょっといろいろと仕事してるんですけれども、筑波に異動して一番最初にやったのが「アインげんきキッズ」、いわゆる今現在で言うと放課後等デイサービス事業が始まりみたいなところ。まだそれがまだ制度化されてない頃、まあ僕らみたいな人間が隙間産業的にいろんなことをやるんですけれども、その中のひとつで、いわゆる障害のある子どもです。特に当時はいわゆる軽度発達障害の表現があります。いわゆる発達障害の支援法がまだなかったその頃、彼ら彼女たちは非常に苦労しました。なぜならば、学校においてもいろんなところにおいても努力不足だって言われた。そして、どんなに頑張ってもできないことがあるにも関わらず、ともかく「もっと勉強しなさい」、「もっと頑張りなさい」とずっと言われてきた。その時にそうした子どもたちのための憩いの場所を少し作ってほしいというような要望があって、それで作ったのがこの「アインげんきキッズ」ですね。当時僕は筑波にいたので、少し運動のところで、その時にちょっと親の方からも言われたのは、その会の方から言われたのは、彼らは運動が苦手なんです、運動が不器用なんです、そんな状況で運動はどうなんでしょうか、ね、みたいなことも言われます。「いや大丈夫ですよ」っていうので、始めてもう15、6年経ったんです。いろんな子どもたちが、ここで運動を楽しんでいます。ひとつの例ですけれども、これが今の「アインげんきキッズ」です、ここでもいろんな活動をやってきています。ひとつ重要な部分は、こうした子どもたちは、確かに運動は苦手です、運動は不器用です、だけれども、我々が工夫をしていけば、とても楽しめます。実際、こうやって見ていただいても、僕らは地域のスポーツ施設を使うことが多いですね、アインもスポーツ施設を使っています。それは、彼らはもしくはその家族が、やっぱりどこに行っても自分の子どもが嫌な思いさせないようにって言うので、どうしてもなかなか一歩踏み出すことが難しい、じゃあ僕たちがその一歩を背中から押せるようにというふうに思って、あえて地域のスポーツ施設を使う。また公園ですね、そうした公園のところで一緒に遊ぶ。それともうひとつ家族にも来てもらおうと思います。でも一緒に、家族と一緒に運動するわけじゃない、時々運動してくれるお父さんお母さんもいるんですけれども、それ以上に日曜日か土曜日の活動、午前中にあるんですね。午前中活動やって少しそれで子どもたちが運動面白いなと思ってほしいなって思ったら、その後、午後家族と一緒にどこか出かけて、運動をやってくれればいいな、きっかけづくりということで、家族も一緒に来てもらおう、というようなことやってます。それ以外にも、ご家族も楽しんでもらおうというのも含めてなんですけど、お相撲の力士さんに来てもらって一緒に活動したりとかして、みんなで楽しいという、運動って楽しい、スポーツって楽しい、そういう経験を積んでもらう、そんな場づくりとして、こういうようなものをやって、それがもとになって、今は茨城の方に「Do!スポーツひまわり」いろいろなものをスーパーバイズしています。それ以外にも療育というような分野なんですけれども、先ほどのセンター長からもありましたけれども、いわゆるDCDといわれる子どもたち、そうした子どもたちとの出会いもあってそうしたところを中心にやるというところで、この「つくばMDC」「アインMDC」みたいなものをやっています。こちらは筑波地区の方でもやります。東京地区の方でもなかなかたくさんの子どもを見るのはなかなか難しい状況ではあるのですけれども、まあそれでも以前に比べて非常に要望が多くなったのは事実です。今は子どもの支援っていうのはこういう形で進んでいきます。そして、18歳まではいろんな場の中で運動やスポーツする機会があるんですね。まあ学校はもちろんのことです。それ以外にも放課後等デイサービス事業もそうですね。結構いろんなところであと運動を中心にやってくれたりとか、サブプログラムとして運動入れてくれたりとか。て、いうので結構運動する機会があります。僕も元々放課後等デイサービス事業は数か所監修させてもらっておりまして、その中でも結構いろんな運動、運動する機会をつくる。ただ、18歳以降なんです。ドタッと運動をする機会が減りました。その機会を作って欲しいということで、深谷の方からいろいろと要望があって「MDC友の会」みたいなものを作って、やっています。こちらの方は、余暇ですね。余暇だから、余暇って選ぶもの。やらされるものではなく、選ぶもの。自分で選んでいくんだ。させるんではないというそういうような発想から、とにかくいろんなものをやってみよう、その中から自分が好きなものを選べるようにしよう、そんな形でやってます。これ茨城でしか今やってないんですけれども、例えばサーフィンであったり、スキー、トレッキング、スケート、サイクリング、ボルダリングなどいろんなことやってますね。別にプロになる必要はないので、ほどほどできればいいわけですから、ほどほどできるんだったら、ある程度のことを教えられる。僕も基本的に全部の指導ができるわけじゃなくて、僕は基本的になっちゃって指導の人なので、そういう適当な専門的ではないんですけれども、ほどほどできる程度の指導はできるというような形でやらせてもらいながら、子どもたちもほどほどできるようなそんな状況を作って、一緒に楽しんでいます。こういうのもやりながら子どもたちが少しでも運動やスポーツに親しんでもらう、そして生涯を通じて運動やスポーツを身近なものとして感じてもらう、そんな取り組みというのをずっとやってきました。実はそうした取り組みをやっていく中でなんですけれども、僕はその中で非常に不器用と言われる子どもたち、そうした子どもたちの声をたくさん聞くんですね。僕の仕事っていうのは、その子どもたちの声によって支えられているというふうに考えています。なのでとても声を大事にします。  ちょっと今日はその声について最初に紹介させていただきたいなというふうに思います。我々が写真はもうほとんど拾い画なので気にしないでください。あのまさかこれ澤江でしょって言ったら冗談になりますので、拾い画ですので安心してください。僕が療育の方を始めたところですね、先ほどのMDCのやつですね。ここですね、ちょっと後々出てくるので、「MDC」で覚えていてください。  MDCの活動をやっていた時です。初期の初期の頃です。その時に今来たお子さん。当時はまだ発達性協調運動障害を診断できるお医者さんがほとんどいなかった時代です。その時代だったもんですから、診断名としてみると今で言うとASDという診断名ですね。いわゆるアスペルガー症候群で小学校5年生の男の子、その子がMDCに来たんですね。それでお母さんと一緒に来たんですけれども、そこは個別指導です。最初に子どもと話したんですね。子どもの方から「先生、僕を上手にしてくれ」って言うんですね。なので、「うん、わかった。じゃあ、どうして?」と聞いたら「(多分体育の授業の担当の先生)僕の先生は上手な人には教えてくれる。ちょっと下手な子にも教えてくれる。だけど僕みたいにめちゃくちゃ下手な子には教えてくれないから」と言うんです。「はぁそうなんだ」と思いながら聞いていたんですけれども実はそういうケースって決して少なくはないのです。  まあよくよく話を聞いていると体育の授業の中で、ですね、そして体育の先生がまたいろいろご指導されているのだと思います。その指導している時にその子は支援員さんについているということは、先生からしてみると、その授業担当者からしてみると支援員さんの方が障がいの専門性があるから、すべてお任せしていると。だけれども、実際、子どもからしてみるとその授業の担当者に声をかけてもらいたい。それが多分、子どもたちの声。確かに担当者からしてみれば自分が教えるよりはその人が教えた方がいいんじゃないかなと思いますけど、でも、子どもはそうじゃないですね 。そういうのも大事な声なんだと思うんです。もうひとつ重要なのは、多分授業担当者からしてみてもどう教えていいかわからない。実際にこの子もそうでしたけれども、いわゆるそうした発達性協調運動障害の特性をもっているとこれまでの教え方をしてもうまくいかないことがあるというのが事実。  例えばこういうケースです。これは先ほどの子とはちょっと違う別の子、小学校5年生の女の子。当時、学習障害と診断されていました。まあでも多分その時は先ほど言いましたように発達性協調運動障害という診断をつけられるお医者さんがいませんでした。結果的にはそういう診断がつくんじゃないかなっていうタイプの子。これ何かちょっと見ていただくとちょっとわかりにくいですけど、これ前回りなんですね。前回りをしていてビデオでこう足が一番上にきているところを書き出しています。これからちょっと右にどんどん出てきますけれども、足先が一番チョキになってるところなので、これゴローって回ってるんですね。回って背中ピーンと伸びた状態でパターンってなった。今回、支援者の方もいらっしゃると思いますけれども、こういう子いますよね。なので僕もこういう子いるなあと思って「わかった。よし、じゃあ頑張って教えよう」と思ったんですね。それでいつもだと学習障害の特徴があるので、知的な障害はほとんどなかったっていうのもあったので、まあ言葉で、まずちょっとどんな状況なのかだから、まずは背中を丸めてもらおう。だいたい前回りってもちろんきれいな前回りは別として、とにかくこういうゴロンとした感じがよいんです。そのゴロンとした感じを作るためには「背中丸めて」と、言った時に丸めてもらうのがよいんです。だから背中を丸めた状態でその状態で回ってくれればとりあえずゴロンとなる。 だからまずは「背中丸められる?」と聞いたんですね。「背中丸められる?」と聞いたら、ちゃんと丸められるんですよね。「そうそうそう、その調子!いいじゃないか。ちょっと丸めてみてごらん」「そうそうその調子」「丸めて、丸めて」と言うと、ちゃんと丸められるんです。「丸めて」と言うと丸められる。「よしじゃあいい、前回りするよ!丸めて丸めて丸めて」当然丸めてって言ったらこうゴロンって回る。その「丸めて」って言葉だけですよ。余計なことは言わない。そういう時はひとつの言葉に、ひとつの動作。これも療育的な原則です。そういうのできちんとやって、そしたらどうなったか。逆に背中が反っちゃったんです。「わぁ危ない!」と思って、手をがっと入れましたけれども。こんな状態。これがいわゆる発達性協調運動障害のひとつの特徴なんです。ひとつの動きはできるんです。それが前回りという複合的な動き、動きを重ねていく、他の動きと協調させなければいけないとなると、その丸めていく動きができなくなっちゃう。こうしたことに彼ら彼女たちは苦しんでいます。だけどそこで近くにいたお母さん、何て言ってたか「またふざけて!」って。「先生、いつもこうやって先生の言うことを聞かないでふざけちゃうんです」。確かにそうですよね。「丸めて」って言っても背中反ってるんですものね。当然そんな状況になるわけですよ。そういうふうに言われるんですよ。で、じゃあどうしようかなと思ったんですね。この時に後でも少し話をするんですけれども、いわゆる僕、先ほどアダプテッド体育スポーツ学ということを勉強していると言いましたけど、アダプテッドの考え方のひとつに、うまくいかない時は真反対のことをしてみよう、ていうようなことがある。真反対ってどういうことかというと、この2時間で気づくかもしれませんが、僕はおしゃべりなんですね。療育中もおしゃべりなんです。自閉症にとってはノイズばっかりの状態なんですけれども、それでもおしゃべりなんですね。そんな状況なので、もうおしゃべりをちょっとやめてみようと。どうしたか「いい?○○するよ」っていうようなあまりしゃべらないようにした。具体的に言いますと、こんな感じなんです。けれどもちょっとここに黒いのが見えると思うんですけども、この黒いのが僕の手です。なので「いい?○○するよ。」と、ちょっと抑えるんですね。そういうふうにしてこう抑えながら要するに、丸まった状態です。いわゆる身体保障と言われるやつなんですけど、僕らはガイダンスって言い方です。動きを導くという意味です。この状態をちょっと何回かするんですね 。それで、ともかく何も言わずに「前回り」「前回り」みたいなそれをどんどん繰り返しているうちに最終的には手を押さえなくても自分でちゃんと丸まる。このやり方は、後々、DCDの子どもたちにとってはうまくいく方法だということをわかったんですけれども、当時はまだ全然知らなかったのでとりあえず今までのやり方とは違うやり方をしようと。それがまあいわゆる当時のDCDに対する、まあ、当時はDCDの診断もなくて、先ほども言いましたけれども、どうしてもふざけているように見えると。それはなぜかって言うと、こういう見方をしてみると見えてきます。例えばですけれども、これあの僕らのセッションはだいたい50分ぐらいのセッションなんですけれども、そのうちの今35分間その中で先ほど言っていた、あの前周り13回。彼女は最初の1回目からが13回目までですけど、初期の段階というのは「待て待て待て」とか「背中丸めて」と言ってるんですね。ここら辺からちょっとあかんわと思ってやめた。そんな状況です。ちょっと見てほしいのは、ここ、時間なんです。1回目から2回目1分45秒とか。1分45秒かかってる、どういうことか。当時その時には友達2人しかいませんので、1分45秒を回る前回り。そして回って戻ってまた並んでもあります。それに1分45秒かかっているってめちゃくちゃ時間かかっているわけですよ。何でこんな時間かかってるかって言うと、彼女は1回やったらすぐバタンと倒れる。バタンと倒れた瞬間に壁の方に行って、「先生、昨日なんかテレビ見た?」みたいな話になってますね。それでまあ僕らの活動ってまあ強引にはさせないようにしてるので、「昨日は何を観たんだっけなぁ」と話をしながら、それでこう少しずつ乗せながら、また2回目みたいな感じ。2回目は、18分。18分間何をしてたかっていうとまたバターンってなって、また壁の方に見て「先生、ドラマ。ミタさんミタさん」。当時は、「家政婦のミタ」というドラマがあったんですけど、「うんうん」と頷いている方はだいたい僕たちと同じ世代だと思います。あまり頷かない方がいいかもしれません。そういう「家政婦のミタさん」というドラマがあったんですけど 、そのドラマを見た時に見てそれを再現するんですね。まあ僕も含めて学生もいっぱい何人かいるので、「先生○○役、○○さんは○○役」、と役が決まる。それにのっちゃっているわけですね。だから18分間ミタさんごっこやっていたわけですね。それが終わってようやくまた次の会、実はこういうふうにして壁によりかかっていろんな違う話をしたりとかミタさんごっこなんかこう始めたりとかする。これいわゆる先ほどのお母さんの言葉じゃないですけども、おふざけみたいなふうに、実際これ論文の中でも出てくるのです。発達性協調運動障害の子どもたちの中に今おふざけ行動がある。このおふざけ行動を、英語で言うと「ピエロリング」というですけど、いわゆる「ピエロing」なんですね。つまりおどけてる。できないふりをして自分ができないっていうことをあえてごまかすためにふざけるんです。それは自分の自尊心を崩さないひとつの防衛反応。みなさんの中にもしお子さんの中で、またはその支援している子どもたちの中に、そしてちょっとおふざけをしている子がいるかもしれない。そのおふざけをしている子どもの背景には、もしかしたら、その運動の不器用さや苦手さっていうのがあって、それを悟られないためにおふざけをしているかもしれない。なので、実際僕も運動指導をしている時にちょっとなんかこうあえてふざけようとしてるなって思うと、もしかしたら何か苦手を感じてるかもしれない。これは実際にこうした状況があるということです。先ほど私たちは変えました、指導方法を。なので、そうして変えた後どうなったのか、ちょっと後半見てください、回数を。ここら辺ですね。10秒程度ですよ。つまり回って、ぐるっと回って、そしてまたダダダって戻ってきてどこにも行くことなくスタートゴールに行ってまた回り始めてすぐに戻る。多分楽しくなった。もう何回もやろう、何回もやろうとする。ゴロンとした感じを経験すると、また回ってみたくなっちゃうんでしょうね。でも次から次へと回る。だから僕もちょっとここまで来るとさっきまでのミタさんごっこの続きをしたいなと思って、子どもにせっかくだから「次をちょっとまた続きやろうよ」と言ったら、「先生、今は体育の時間だよ」って言われた。「そっかー」と言って、でも子どもに諭されて、またずっと前回りの練習をしている。こうやって練習をしていても、次から次へとやり始めて、今までずっと運動すること避けてた子です。僕たちの活動は1ヶ月に1回。でも次の回、今度はまだ会場に入る前のところ、僕がさっき言った地域のスポーツ施設を使ってたりとかしてますけど、入り口の廊下のあたりで、僕を見つけて、「ああ、先生!今日もよろしく」みたいな感じ。そしてそこでしかも、まだ会場に入る前に側転し始めたんですね。「先生見て!」と。でもそこでやるな、という感じ。でもそれぐらいもう見て見て感情なんですよ。あんなに運動避けてます。決して上手じゃないんですよ。でも、それでも運動を見せるんです。楽しいんですよ。そういうことが逆に運動への接近です、これは何が操作性だか。もちろん、今までのやり方がうまくいかなかったっていうのがあって、それを変えたって、それ以外にもいくつかの理由があるんじゃないかなと思っています。これは「アインげんききっず」のですね、アインの活動は月に1回やってます。それで最初は体験をして、良かったら、次から、あのきちんとお金払ってきてね、みたいな形。僕はお抱え講師なので、代表の方がいて僕は講師として指導者として、体験の子が一人来たんです  小学校5年生の男の子。高機能自閉症と言われていた、発達性協調運動障害の特性があるかなって感じの子です。その子が来ました。そして、お母さんと一緒に行きました。そしてお母さんが言いました。「最近ちょっと体を動かすことがなくなる。小学校に上がってからだんだんだんだん動くのが億劫になったり。そして今は高学年に上がったんだけども、体育の時間を休みがちになったから、ちょっと体にちょっといろんな肉がつき始めてきたから、少しでも動かしてもらおうと思って、こういうところに来ました。でも、すみません。多分今日も体を動かさないと思います。」僕らの活動は、1時間半ぐらいあるんです。けれども、彼は1時間ずっと身体を動かしていました。それで楽しく元気に身体をいっぱい動かしていて終わった後にお母さんも驚いていました。「なんでこんなにいっぱい身体を動かしているの!」彼に聞いた。「次回、どうする?」そうしたら気持ちよく「うん、行く!」「なんで?」「だってさ、ここだったら下手って言われないんだよ」これ逆のこと考えてですね、なんで彼が運動しなかったか。下手と言われてるからなんですよ。もし、彼がこれまでの間いろんなところで体育活動も含めていろんなところで「下手」と言われてなかったら、多分ここに来てないです。この言葉っていうのがどれだけ彼ら彼女たちにとって重いか。で、そういうことも含めてうちの活動って、まあ、そういう意味で基本的にはそういうこと言わないようにしてる。当然で、そうした子どもたちが多いというのを知っていますし、当然指導する上で必ずしもそれが効果的だと思えないからっていうふうにしてそういうのは言わない。先ほども言いましたように、うちの学生っていうのは体育でトップアスリートを目指していた人たちが多いので、どちらかと言うと、欠点克服型の指導をずっと受けてる。だから僕たちの活動を聞いてくると最初なんかびっくりするんですね。「なんでそういうことばっかして、欠点を直さなくちゃいけない」ことばっかり言う。むしろ、できることをしっかりと見つけてあげてそこをまずはしっかりと褒めていこうよ、というふうにする。そうすると、運動に参加するんです。それがやっぱりひとつ重要な部分なんじゃないかなというふうに思います。  そうした活動をやっているんですけれども、これは小学校2年生、あこれ、僕、これも僕です。若いころです。初期の頃ですね、この活動の。小学校2年生の男の子、広汎性発達障害って言われていた男の子。この子は、もう最初からともかく運動に対してネガティブでした。「運動有能感」という言葉なんですけども、その運動有能感は、運動に対する自信ですけども、まあ数値、当時知らないんですけれども、もうかなり低い、非常に低かったです。その子が、それこそお母さんが、最初に来た時には、引きずられるように来るように、よく漫画でこんなふうな絵がありましたけれども、その絵のような感じです。そうやってずりずりずりと、やはり会場に入ると思うと、部屋の隅の方に行って体育座りして座っている。また声を掛けるんですね。「やろうよ!」これもやらない。だってできないから、失敗するから、やりたくないから、というので隅にいる。そうした子どもはこれまでも何人か見てきてるので、無理やり入れることは基本的にはしないです。ちょこちょこタイミングを見て声をかけ、ちょこちょこなんかきっかけを作るんですね。例えばですけれども、別の友達とボール遊びして、わざとそっちのその子に転がすんですね。その子がボールをとる。「ちょっとそのボール投げてくれる?」投げ返してくれる。「おお、上手じゃん。投げるのうまいじゃん。え、こっちでちょっとやってみる?」うまく誘いたいですね。でもこの子、まあ同じような作戦とってやろうと思って、その子の近くで別の友達と、ここはボール遊びしてわざとボールを転がす。その子に「ちょっと、投げてよ」「投げるの上手だね」って言いたかった。そうしたら投げないで、僕のところに持って手渡しする。「いやぁ投げてほしかった」みたいな。そんな状況ぐらい、基本的な運動することを極力避けよう、避けようとする。そんな子だったんです。そんな子なんですけれども、それでもちょこちょこ少しずつですけども参加することは増えてきたんです。僕としても嬉しかったですね。どれぐらい経ったか、わからないですけれども、まあそれでもだいぶ回数重ねてたと思うんです。けれどもそのある時ですね、まあ、ほぼほぼいろんな活動に参加し始めたなぁ、先ほど1時間半と言いましたけど、その1時間半、結構まあ、ほぼほぼ休みなくやれるような時ですね。時々なんですけれども、子どもにも、お手伝いをしてもらうんですね。「今日、新しい種目やるからちょっと手伝ってくれる人いる?」みたいな。そうするとだいたいいつもの運動が得意な子の方が「僕やる、私やる」みたいな感じ。その時たまたまこの子が手を挙げたんですよ。もうちょっとと思って、「もうちょっと、いやでも特別にしちゃだめなんだ」と思って「誰にしよう」と、その子に声をかけた。終わった後に聞いたんですね。「今日は手伝ってくれてありがとう。よかったね。でも、なんで今日手伝おうと思ったの?」って聞いた。そしたら「だってさ、ここってほどほどできればいいんでしょ?」という言い方をする。 「そっか」彼らがやっぱり苦しんでいるのはいわゆる「きちんと、しっかりできる」ということ。でも、そうじゃないと。「ほどほどでいいんだ」って。僕は彼からその言葉を覚えて、僕の活動はどういう活動ですかというと「ほどほどの活動なんです」と言います。まあこれを別な表現ですると「ゆる」というゆるスポーツがありますけれども、それの走りの部分としては、僕らは「ゆる」ではなくて「ほどほど」っていうのを最初に使っています。けれども、そういうふうにほどほどであれ。そうした彼、その後も、本当にそこら辺がきっかけだったと思うんですけれども、活動もすごく積極的にいろんな活動に参加するようになった。もちろん上手じゃないです。だけれどもすごい前向きになった。やり始める前まではリレーなんかに行くと後半に走ることが多かったのに「僕、一番やる!」というような感じ。そして、しまいには、失礼かもしれないから他の子の中でやっぱり少し躊躇している子とかもいるんですね。同じようなタイプの子がいるので。その子の近くに行って、「平気、平気。ここの活動、緩いからさ」って言いだして。そのぐらい周りの皆をもうどんどんどんどん鼓舞していくんですよ。まあそういうのは非常にリーダー的な存在に変わっていくんです。  そんな彼ですよ、そんな彼がサボり始めた。さっき言ったように僕はお抱え講師なので、そういえば最近彼見ていないなと思ったから代表に聞いたんですね。「最近彼、どうしたの?」「そうそうごめん。先生に言うの忘れていたわ。あのさ彼、地域のサッカークラブに入ったんです」いわゆる競技の方ですね。そこでなんかこうあのレギュラー目指して頑張ってるみたいよ。まあ僕らの活動とその活動が重なった時には最初は僕たちの方の活動だけど、段々とそのサッカーの方に行くと。いいことじゃんって、いろんなスポーツに親しんでもらうということの方が、僕の目標なので必ずしも僕のこの活動だけにとどまる必要はないと。いろんな活動の近くにすれば、僕はそのきっかけを作れればいい。先ほど「下手だ」って言われる、言われないから続けてた子がいましたけれども、彼は僕らの活動にかなり長く関わっています。そうした子もいれば、こうやって僕らの活動をステップにしていろんなスポーツに関わっていくような、彼はそういう意味では、こっちの彼は運動すごい、その後、チャレンジいろいろとやってきたんですけども、最終的にはなかなかプレイヤーにはなれなかったみたいですが、「それでもサッカーを大好きでずっと続けていたんですよ」というのをお母さんから話を聞いて、すごくうれしかったです。大事なことっていうのは、必ずしもそのいろんなスポーツの目的とか価値とかってありますけれども、それをどこに置くかとかじゃなくて、ともかく近いところに、自分の近いところにスポーツがあればいいです。運動があればいいです。そういうことを考えながら、みなさんもぜひスポーツというのを、子どもたちにどれくらい近づけてあげられるかな、ということを考えてもらえるといいなと思っています。こういうふうにして競技に向かっていく子たちもいますし、僕はどちらかというと声をかけられたら、ちょっとそれに躊躇することなく誘いに乗れるぐらいの運動レベルというふうに考えています。それが「ほどほどさ」。例えば「ボーリング行こう」って言われる。成人になって、「ボーリングに行こう」と言われた時に、「僕、投げるのだめだからやめようか」じゃなくて、「そのぐらいだったら行ってみようかな」と思える。そのぐらいのレベルでそうなってくると、別にトップレベルのことやらなくていいので、ほどほどにできればいいんです。そうしたほどほどを教えてくれたのが彼でした。  それ以外にも、これは成人の自閉症の方でした。成人の自閉症の方と関わった時にあるスポーツイベントで関わったんですね。僕はその時は来賓で入ったんです。けれどもその関係スポーツイベントで、その自閉症の方も参加していて、紹介してもらったんですね。僕は「体育関係の人間なんです」と言うと、開口一発何を言われたかというと、「僕は学校の体育の先生が大嫌いになんです」「ああ、すみません」ってみなさん、謝るみたいな。体育の時間も嫌いで嫌だったんだ、と。ただ、だけどある時、走っていたそうです。走っていたら、こう言われたんですよ。「お、いいフォームだね」それは多分なんか陸上部の関係のコーチか監督かはわからないんですけれども、そういう人から声をかけられて「あ、運動して初めて褒められた」って。走るのだけは、多分、僕はいいんだな、と思う。それなので、それ以来マラソンにはすごく精力的に取り組むようになっていて、成人になってからもいろんなイベントの中で走る、マラソンに出ていました。僕が会ったところも何々市民のマラソンのイベントです。「よいフォームだね」という一言が、彼の生涯を通じてスポーツを使ってくれたんですね。なんかそういう一言っていうのはすごく重要だなと思います。それがひとつですね。それからまあもうひとつなんです。ちょっとこれがうちの学生が今はもう現場で大活躍しているんですけれども、その学生さんが活動中にお子さんがちょっとぐずってですね。「もうできない!」とかって言いだしちゃったんですね。あの基本的には僕たちの方ではあまり失敗させないようにするんです。失敗するっていうのは、初期の子に関しては、ほぼほぼ失敗させないように課題の設定をします。ある程度チャレンジができるようになってきたら、ある程度失敗もさせます。失敗することの方が可能性があるというような課題も設定します。この子はもう結構やってたんです。けれども、あんまりこう連続して失敗させることはしてはいけないなと思ってたんですけど、たまたま失敗が重なっちゃったんです。ある名言というか、僕は勝手に作った名言のひとつでもあるんですけれども、「自閉症は3回失敗すると二度とやらない」。それぐらいやっぱり失敗というのは、もう彼らにとって事実になってしまう。そういう失敗する時には、もう次は必ず成功きちんといれさせるように指導するんですけれども、そういうようなやり方をたまたまちょっとうまくできなくて、ぐずっちゃったんですよ。「もう、できない!やらない!」でかい身体の学生が「大丈夫だよ。頑張ろう!」と、一生懸命励ましながらやっているシーンです。そうやって励まして一生懸命も学生も必死になっている状況を僕は近くでカメラでバシャバシャバシャバシャ撮っているっていうそんな図です。ひどいでしょ。ひどいスーパーマンさんみたいなそんな状況です。でも実はそのおかげで子どもの方も気分が変わって最後はニコニコして帰ってきたんですよ。「よくがんばったな!」と、学生さんには伝えました。けれどもそういう状況なんです。なのでこのエピソードはこの後なんですね。家に帰ってこの子がお母さんに言ったんですね「今日はぐずっちゃった。だけどね、最後できたんだよ」とかって喜んでそういう話をしてくれたんだけど、子どもが、ただ次の項、次に、またそこからこうもうひとつ別の話があるんです。「アインではチャレンジする。」だけど学校ではもうチャレンジしないんです。だから学校の体育は諦めてる。それは、もう絶対失敗するから。最初から諦めていれば大丈夫なんだって。運動会は、朝、自分は今日は1日つらい日だからっていう自分で戒めているそうです。もう、つらいというか、体育やスポーツが大好きな僕にとってみれば、これ程つらいことはないと思います。だけどこの子たちはそんな気持ちなんです。でもそれを初めて聞いたそうです、お母さまは。それまでそんな思いでずっと体育や運動会に参加していたんだって、そういう意味ではそこからまあ子どもへの見方っていうか、そういうのも変わってきて、一緒に頑張ろうね、みたいな形で、「ただ単に ”プレー頑張れ!”とか、”くじけるな”とか、そういうことではない応援の仕方ができるようになったんです」というような話も聞きました。  そういうところから考えると、次のようなことを僕は言えるんじゃないかと思っています。いわゆる不器用さを抱えているような子ども達は、やっぱり皆と同じように運動を楽しみたいのだろうなと。だけれどもこんなに頑張ってまたできないことがあるっていうところに苦しさがある。それを克服するためには、どういう克服のさせ方があるのかなと思った時に、ひとつは今までのやり方ではうまくいかないということ。何らかの方法、違う方法を考えなければというふうに思いました。じゃあ具体的にどんなことなのか。ひとつは、ちょっと今日どこまで話せるかわからないのですけども、体育やスポーツに関する固定観念を崩してみるというのはひとつ大事なことです。「スポーツ」というとスポ根の世界です。努力して一生懸命苦しい状況の中でひたすら繰り返して運動していこうみたいな。もちろん運動の学習の原則は繰り返しなので、その繰り返しは大事です。多分僕たちが箸を使えるっていうのは、これ繰り返しの結果です。だから当然繰り返すことが大切です。だけどそれを苦労して繰り返すこと、または繰り返しても失敗だけが重なってしまうような繰り返しの仕方では意味がない。そう考えると、そういうようなやり方は、そういうようなものの考え方はやっぱりもう捨て去っていいんじゃないか。むしろ体育とかスポーツってほどほどできれば楽しめる世界になったということを感じてもらえる方が、僕はいいなと思います。そういう意味ではできることだけを求めない、チャレンジするということにも意義を持たせる。絶対1番じゃなきゃダメだっていうのではない。2番3番になった子がいた時に、「今日の気分は、僕は2番だな。僕は2番がいいや」とかって僕は言うんですね。「今日2番、良かったじゃないか。僕も今日の気分は2番なんです」とかって言ったりしながら、いわゆるいろんな価値。「マルチバリュー」という言い方をしますけれども、そのいろんな価値を子ども達に伝える。走っている子どもの姿、で、走っている子ども、ちょっと具体的な例でいうと、中学校のスポーツイベントがあったんですけども、そのスポーツイベントで長距離400mのグラウンドを何周も走って、長距離走をやっていたんですけども、その時にたまたま僕コーナーに立ってたんですね。そのコーナーに立っていた時に、そのコーナーにある男の子が一生懸命走ってるんですけれども、「もっと頑張って走れ!」「もっと早く走れ!」とかって、みんなからずっと言われてるんですね。それでもトコトコトコっと走っているわけですよ。もう一方で、ちょっと笑顔なんですね。なのでもう僕のところの近くに来た時「おっ!よい笑顔だね」って言ったんですね。そしたら、またニコニコしながら走っていった。でも何周も何周もしていると、さすがに笑顔でできないですね。さすがに疲れ始めてきて、くたびれた顔し始めます。くたびれたと言って、こう行って走ってくるんですけども、僕の近くになると頑張って笑顔になるんですよ。そしてまた走っていくんです。ここら辺、多分ここら辺ぐらいから、またへーっていう顔になる。でも彼が走っている理由っていうのは速く走るじゃないですね。僕に笑顔を届けるために走ってくれてるんです。これも走る価値ですよ。運動っていろんな価値があるんじゃないかって思うんです。ただ「頑張って速く走れ!」とか、「もっと速く!もっとよいフォームで!」とかもちろん、それで頑張れる子もいる。その子はそういうふうに言ってあげてよいけど、それでは厳しい子がいるんだったら、もっと違う褒め方があるだろう。それは今までのいわゆる体育やスポーツの捉え方ではない。またいろいろなことにチャレンジする、いろいろなことに目を向けていく、そういうところにしっかりと僕ら指導者が大人が見せてあげるということはとても大事なんだと思うんです。そういうようなことを考えた時に伝統的な指導ではうまくいかない。じゃあどんな指導があるのっていった時に、さっき言ったアダプテッドの考え方がある。今日はちょっとそこまでお話ができないかもしれないんですけれども、アダプテッドとかいろんな方法を考えたい。  ちょっともう1回、今日のメインテーマっていうのはいわゆるDCDということになるので、そのDCDの理解をちょっと一緒に共有していきたい。DCDって「発達性協調運動障害」ですね。英語で言うと、「Developmental Coordination Disorders」。今までもいろいろな表現があったのですが、国際的には「発達性協調運動障害 DCD」と。英語とかで調べたいなと思ったときには、「Dyspraxia」という言葉を使うと、もしかしたらイギリスではDCDではなくこちらで表現していることが増えています。最初に「DCD」と言おうと言ったのは、イギリスの人たちが中心だったんですけどね。またこう最近になるとこっちを言おう、と。こういうのは言葉の世界、実は僕は先ほど前回りの子のことを言いました。けれどもあの前周りの子がだいたい2010年ぐらいの時に関わってたと思います。その頃にやたらとちょっとうまくいかない子どもたちがいるなっていうふうに思って、それでいろいろと文献を見ていたら「発達性協調運動障害」って言葉を見つけた。それで私は運動障害って言葉を見つけたのでこれって誰か日本で誰か研究してる人いないかなと思って調べてみたら、僕の知り合い、知り合いとか知り合いじゃないですが、僕は知っているけれども、向こうは僕のこと知らないような関係の人がですね、まあ有名人です。そういう人がいたので、もうこれをきっかけにその有名人とちょっとつながろうと思って連絡をしたら、会ってくれたんですね。それで会いに行ったり、そしていろいろと話した。2011年にスイスでDCD学会があるから行ってみるといいよ、とかって言われたんですね。そんなに英語は得意ではないんですけれども、藁をも掴む思いがあったので行きました。ローザンヌです。第9回国際DCD学会第9回、2年に1回ということは2011年から18年前いわゆる20年前にはもうすでにDCDという言葉が世界では普通に使われてたんです。日本は先ほど言ったように、もうほとんどいなかった状況。これは参ったと、そしてでもまあそれでもDCDとは何か、とかね。これからDCDのことをもっと理解しましょうみたいな話があるかと思ったら、「いやもうこの子たちにどうやって運動指導しましょうか」とか「この子たちの運動の難しさは脳のどういうレベルになりますか」みたいに、そんなのがいっぱいバンバンバンバン研究でできてんですよ。まあいやこれは困ったっていうか、これはやばいと思って日本に戻って次の年2012年に先ほどMDCみたいなのを始めました。それがきっかけでした。なので、できるだけ国際的な情報を集めて、そして少しでも先駆的な取り組みをしようといろいろな取り組みをしました。  では、DCDって一体何なのか。今までもいろいろ聞いてきたので、今話を聞いているし、先生方もいろいろと勉強されている方もいらっしゃると思うので、だいたいわかってると思います。いわゆる不器用さということがある。だけどこれもう少しちょっと砕いていかなきゃいけない。診断基準に4つあるABCDになります。DSM-VのTRが新しいの出てますので、それをまたちょっと表現が変わっちゃってるんですけれども、ちょっとこっちのものを使わせてもらいます。ABCD、内容的にはそんなに変わらないです。Aは運動発達が同じ年齢の子ども達より遅れてますよということ。もしくは運動学習が同じ年齢と比べてうまくいかないですよ。ただそれだけでは診断になりませんよ。それが日常生活で何か支障があって初めてDCDと診断しますよという。Cは早期には発生しています。いわゆる外界的な何かダメージを受けてそうなったのではなく、発達の中でそうなってますよっていうような特徴がある。そしてDの中にはこうした他の診断があった場合は、そっちを優先した診断にしてください、ということになる。その中には知的障害です。知的障害と診断されている場合は、DCDがつけられませんよ。視力障害でぎこちなさを抱えている場合はそれをつけません。脳性麻痺、筋ジストロフィー、変性疾患などもそうした運動に関係するような疾患に関してはそちらを優先診断してこちらはつけませんよ、という形になる。これ、何が重要なのかっていうと、運動発達が遅れている、まあよくこの表現適切じゃないと言われますけど「運動音痴」という言葉があるじゃないですか。「運動音痴芸人」とかいろいろあるじゃないですか。ああいう運動神経の悪いとかっていう表現があったりしますけど、それだけではDCDの診断はつかない。日常生活に支障があるということを、別の言い方をします。「運動発達がほどほどでいいんです」その子が日常生活に支障はないような支援の仕方をすれば、その子は障害は少なくなる。これもう少し言います。運動発達、いわゆるDCDといわれる子どもたちの運動発達を促すことは正直しんどいことです。いろいろなものが本の中にもありますけれども、10歳前後がひとつの臨界期。実際、僕もあのこれまで50数例のDCDの子どもたちの療育をしてきて低年齢の子どもたちと関わっていくと確かに変わります。だけれども10歳以降の先ほど、僕、事例いくつか出しておりますけど、ほとんど小学校5年とか小学校4年なんです。つまりそのぐらいでようやく気づくことが多いです。その時に、まあ、お越しになられることが多いです。お越しになられて実際に関わるとなかなかやっぱり運動発達するものを同じ年齢の子どもたちに合わせていくというのは正直しんどい。だから彼らに何をするかそれでも楽しめる方法があるよってことを伝えます。それはひとつ大事なこと。だけど低年齢の子どもたちの関してはある方法を使いながらやることでかなり効果を上げていることもあります。一度戻ります。なのでこの診断レベル基準っていうのはひとつ重要なんです。なのでこういう講演会をDCDの講演会をすると、時々終わった後に、「実は私もDCDかもしれません」「日常生活支障ありますか?」と、「とりあえず大丈夫です」「じゃあ大丈夫です」というふうにすることが多いっていう。それぐらい、実際私も運動が、運動発達が……、みたいなことをいらっしゃる方は、今でももしかしたらいらっしゃるかもしれない。でもそれだけでは診断にならないですよ。実際、有症率は今いろんなデータがあるんですけれども、就学児童の約6%ではないかなといわれています。診断的にも約6%じゃないかなって言われてるのと、やっぱり男子が多いっていうふうなのは、いわゆる発達障害の特徴でもある、と言われています。で、ここ、他の障害と合併するというのは、これも言われています。特にDSM-Vになってから複合診断が可能になったので、いわゆる、診断、みなさん方もおわかりかと思います。けれども、いろいろな診断名が重なっているんですね。なので、ASD・ADHD・DCDみたいな。大概そのパターンが多いです、うちに来ている子。ASDで、昔、実はASDはつけたらDCDつけちゃいけない、ってルールがあったんです。今はもうつけられるので、ASDとADHDあとはそれが順番がどこからどういう順番になってるかっていうので、この子の特徴を見つけようみたいなことやったりします。で、今言いましたけど、ASD、自閉症ですね、自閉症の約ものの本によります、これ50〜90になってますけれども。幅で言うと、だいたい70〜90。ほぼほぼ不器用さを抱えていると言ってよいと思います。それからいわゆるADHDとか、あとLDもそうなんですけれども、だいたい40〜50、半々がそうした特徴をもっている。この間もスポーツ庁から連絡があって、学習障害の不器用さの子どもたちの特徴について教えてほしいというふうになって、こうした情報を伝えました。けれども今、国全体も含めて、こうした発達障害の不器用さ、運動に対しての取り組みは、かなり注目してもらっている状況にあります。まぁそういう意味で動いています。知的障害とか入ってないですけど、実は知的障害と併合することもあります。先ほど知的障害が診断される場合はDCDつかないと言うんですけれども。論文なんかでは知的障害とDCDの合併も結構数値的には上がっています。運動学習場面における障害なんだけれども、体育をはじめ発達や教育、保育の場でほとんど顧みられてこなかったというのは、これまでの経緯です。なぜかっていうとだいたい年齢で解決するでしょう、なんて言われてたんですね。運動でしょうって、そんなのもやっときゃなんとかなるよ、みたいな、そういう楽観してやったりとか、経験がないだけ今最近運動する子が少なくなったからね、手を出せなくなった子たちが多いとか、かけっこも走る機会が少なくなったから、そういうことでしょう、というので、一義的に捉えられてしまっているようなところから、DCDの子たちは見過ごされてしまっているというケース。そうしたことを少しでも改善するために、例えば5歳児検診でそうしたDCD項目を入れている自治体もあります。少しでも早い段階でそうした子どもたちの特徴を把握し、少しでも支援を厚くしてあげることによって、いろいろな問題を早いうちに解決できたらいいよね、なんていうようなことをやられている自治体もあります。じゃあ実際にどういう特徴があるのかな、なんていうふうに言うと先ほど言った、運動学習場面のところは、結構目立つことが多いもんですが、どうしても悪影響のところが具体的になっております。  幼児期のところは、例えば、こうやって見てみますと、ボタンをはめる、チャックを下ろす、靴の着脱って言っても、ボタンをはめる機会が少なくなったりとか、靴ひももそうですけれども、まあもう今はベリベリバリバリの世界です。そういう意味では、そうした機会が少なくなって、なかなか見つけることが難しい。大型遊具を使っている時の手と足の動かし方、そういうところを見ながらちょっと確かにぎこちないけどでもこういう子もいるよなってなっちゃうと、どうしてもやっぱり見過ごされてしまっているのは事実です。なかなか方法を発見できるというのは、なかなか難しいと思います。むしろ学齢期に入った状況、その時に結構多いのは、まあこういう描画や制作というところで、どうも手先の不器用さがあったりするんです。あやとりとかラケット系の動きでどうもちょっと不器用さを抱えていたりとかするんです。結構多いのが、リコーダーです。リコーダーでうまくひけない、ふけない、音がうまく出ない、というので結構指摘されていたりとかします。リコーダーの穴をふさぐのがうまくできるシール、まだ足りないので、魚の目用のパッチをつけるとさらに効果的ですと、親御さんから情報いただいたりします。そのように、リコーダーはすごく注目されているのです。こうしたところで学齢期のところで、いわゆる学習場面の中でこうしたことを行う。特に10歳ぐらいになってくると、自分の得意な運動、不得意な運動っていうのはかなりはっきりしてくるものだから、そうなってきた時に初めてどうもうちの子、運動にすごく積極的に参加しないとか、僕は運動自体ができないんだって言い出すとか、そこら辺がちょっと自己、いわゆる外界との関係で自己を見つめ直す、自分を捉えるというそういう時期、9歳、10歳ですね。「9歳10歳の壁」とよくありましたけれども、ちょうどそのぐらいが本人のアイデンティティみたいなものの中で、見えてくる。それが結果的にそのぐらいの時期にようやく現れてくる。そこでようやく僕たちの方に声がかかるというようなことがでてきます。  ただ、最近はそれでも10歳前の子どもたちで親御さんが気づいて声をかけてくれることが多くなってきている。今自分のところで見てるケースの中でも小学校1、2年生の子が増えてきています。そうしたケースに関しては少し手厚く支援をしていって改善を図れるようにします。青年期以降です。青年期以降になると何が現れるかっていうと、いわゆる化粧とか料理と幅がどうしても狭くなってしまう。中には確かに今日はあまり化粧されないなんてまあ「べっぴん」という表現が、僕も初めて知ったんです。けれども、「べっぴん」って、素肌が美しい人を「べっぴん」って言うそうですね。なので、そういうのは「べっぴんですね」という言い方でいいと思うんです。けれどもそういう方の中に、やっぱり化粧されていない方の中には、実はちょっとうまくできないんです、という方がいらっしゃる。あと、僕が実際に見たのは、子どものあやしがうまくいかない。つまりDCDの人の中には右手の動きと左手の動きは同時に動いてしまう。だけど、あやした時って右の手と左の手の動きをやっぱり変えていかなきゃいけないんです。けれどもそれがうまくいかないので子どもにとって非常に不快な動きになってしまう。横抱きですごく不協和的な動きになっていたので、「お母さん、ちょっと縦抱きでやってみたら?縦抱きだと手足をあまり使わずに、身体でなんとかなるから。それでやってみてごらんよ。」と。そうしたら、子どもが段々落ち着いてきて。成人の方の中でも、やっぱりそうした不器用さを抱えていて、そうしたことが実際に育児であったりとかそういった就労であったりとか、その他余暇活動の幅も違いますね。そうしたところでやっぱり支障をきたしているって方はいらっしゃいます。僕は日本DCD学会っていうその学会があるんですけど、その事務局をしばらくやってたんですが、その事務局やってる時に時々電話の問い合わせがあります。成人の方々の問い合わせ。あのホームページ見てどうも「自分がDCDっぽいと思うんだ」と、なので、どうしたら改善できるかということともと同時に、実は何度も何度も仕事を変わることになっています。それは、その場でどうしても手先を使うことが多く、そうした部分で他の人と同じような作業ができなくて結果的に適応ができずに仕事をされることが多かった。そうしたことをやっぱり、こうまあ直に聞くことがあって、やっぱりDCDを抱えているということはひとつそうした面での難しさ、適応上の難しさとかがあるんだな、というふうなことを感じました。日本では、残念ながら成人の方のDCDに対する支援は、まだまだ充実していません。そういう意味では、今の状況の中でどうやって周りの人に理解をしてもらえるか、ということが今は中心になっている、というふうに考えていただくとよいと思います。少しずつですけれども、そうした青年期の人を支援できるお医者さんというのも少しずつ増えてきてるかなというふうに思っています。我々ができることはひとつはそういう状況であっても楽しめるものがあるよっていう意味で、僕なんかそうした青年期・成人期の方の運動の難しさを抱えてる人たちに対して少しでも支援ができるように取り組んでいるところであります。それが先ほど言っていた例のところに書かれてある人たちの支援です。  そしてもうひとつは、結構、自尊感情がやっぱり下がってしまったり、自己肯定感やっぱり身体的なできなさって、ある意味ダイレクトにそうした自尊感情につながっていて。そういうことで、箸の使い方、スプーンの使い方で食事の場面だけはもうなんか変な動き方だなぁ、なんていうふうになって、いつでもどこでも言われちゃう、みたいな。だからもう食べる時に、あえてこう隠して食べたりとかしてます。「そこまでせんでもええやろう」って思うんやけれども、「それでも恥ずかしいんです。いつも言われちゃうんです」っていう。「ええやないの」と僕は言うようにしているんですけれども、それでもやっぱりそういうことも含めてできなさっていうのは、かなり自尊感情を下げてしまう。それは先ほど大変だからって言われればそうなっちゃうよねっていうことと同じです。で結果的に引きこもりであったりとかいじめの対象になってたりとか、それからもともと精神疾患の要素を持っていたことが、そうした不器用さがあることによって、精神疾患が発症してしまったりとかいうケースも海外の論文では結構もうかなり出ています。なので、成人になってこう精神疾患になって、その背景にDCDがあるのではないか、っていうようなケース、そういう意味も含めて、そのいわゆる、まあ、ただ単に運動が苦手とかそれだけで留まらないっていうのもひとつ。だからそういう意味では運動をどう一緒に育ててあげられるか。その育てるっていうのは、どういうことなのかってことになったんですね。例えばですけれども 不器用さの中でもDCDって言われてて基本的な障害特性から見た場合っていうこと、これ例えばですけれども、ADHDのお子さんでいらっしゃいます。自閉症(のスライド)が出ていないのか。    例えばADHDですけれども、話を聞く時間にじっとできずにその場から離れる、いつもどこか体を動かしている。いわゆる運動場面の中では、結構こういうことがあったり、それって、まあ、確かにその動きがうまく動かしきれていないというような言い方もできるんですけども、これはどちらかというと、ADHDのいわゆる多動性の問題で、多動性を抑えることによって、いろいろと動きが落ち着くというのは例があります。実際にADHDの場合はいわゆる投薬をすることによって、運動の不器用さが改善されるっていう例は、もう海外だけではなく、日本でもそういうような事例がいくつか出ています。そういう意味でも、いわゆるDCDという特性が彼にあったとしても、ADHDという対応することによって改善するケースもあります。これを別の言い方をします。DCDの事を知らなくてもADHDとかこれは、または自閉症であったりとか、または学習障害だったり、DCDの事を知らなくてもADHDとか、または自閉症であったりとかまたは学習障害だったり、そうした障害特性を理解し、それを学習場面の中で適用させていくことによって、運動のぎこちなさが改善する、なんていうことはあります。ADHDに関してみると、例えばですけれども、水泳の選手であったりとか、それから陸上の選手の中ではもう金メダルを取るようなスーパースターがいっぱいいます。フェリックスとか、今、ごめんなさい、なので(名前が)出てこないんですけれども、陸上100mの選手、彼もADHDなんです。けれどもしっかりと診断名で持っている人ですけれども、その子もいわゆる薬を使うことによって落ち着いてくることで解決してるっていうケースもあります。もちろん薬を使ってもなかなか改善しないタイプがあって、これを「ダンプ」って言うんですけども、DANPこれはADHDとDCDを併せ持った障害といわれています。それに関しては、実際はADHDの対応するだけではうまくいかないというので、DCDへの対応を含めてそういう意味でも今回ちょっとADHDだけの話をしました。そうした意味でも。ADHDの特徴を理解することだけで、または自閉症ということを理解することだけで、ずいぶん運動の解決を図れると思います。  例えば自閉症の子っていうのは、ひとつの例です。けれどもひとつの種目が何かできると他の種目がもう本来はできるだろうと僕たちは思っています。具体的なことで言います。ラケット系でバドミントンで羽を当てるのはむちゃくちゃ上手な自閉の子がいます。そうしたら、じゃあ当然テニスもできるでしょう。ボール当てるのはできるでしょう。全くできなかった。もう本当に、それこそ他の人から見るとふざけてるのかと思うぐらいだと。でも、それが自閉症の特徴なんです。ひとつのことができるか、それが、応用がきくとか、そうではない。これは、必ず最初から、最初から丁寧に教えてあげなきゃいけない。それが自閉症の人の指導に関しては、別に運動だけじゃない。それ以外も応用が難しいです。だから、ひとつひとつ丁寧に教える。だから、そういうことを、もしわかっていたら、この子バドミントンができる、じゃあテニスできるよねって言って、テニスをしててなんでそんなにあんなにバトミントができるのに、できないんだって、怒る必要はない。怒らないから本人も安心して教えてもらえる。本人も学べる。僕らの方も安心して教えられる。それは自閉症という特徴を知ってるか、知らないか。自閉症の人たちはボール投げが苦手だと思うんですね。ボールを取るのが。それは非常にシンプルな言い方すると、ボールが飛んでくるっていうことに対してなかなか予期的にうまく合わせられない。それなので、僕らがボールを投げるよっていう時に、いわゆる非自閉症の人たちにボールを投げるわけでも、だいたいこうやって構えているから、受け手の方はもう投げるんだなって、予測をして構えるわけです。これがいわゆる非自閉症の人たちのキャッチボールですよ。だけど自閉症の人たちのキャッチボールは、「ボール投げるよ」と言って、「ボール投げるよ」と、言ってるんですけど、こうやって構えてるから、構えてること時点で、まだわからない、投げた瞬間、ボールが近づいて、初めて構える。この数秒0.何秒の違いです。この0.何秒がエラーを起こすか、起こさないかの違いなんです。彼らはその結果を得られるエラーをいっぱいすると、どうなるか。もうやりたくないし、ぶつかって怖いからボール投げ怖い、と言います。だけど僕らのアインの活動、ボール投げめちゃくちゃ好きです。なぜか投げる時に必ず言います。「投げるよ」って言います。つまりこの構えをしてる時に、非自閉症の人たちは、もうあの人は投げるよって思って、その意図を僕らは必ず言葉にするんです。だから、「投げるよ。いい?」と言うと向こうがちゃんと構え始める。構えてから、投げる。そうしたら取る回数、成功する確率は、増えている。だから結果的に投げるのが好き、取るのが好き、キャッチボールが好きになる。僕が行くと、「先生、キャッチボールしよう!」と始まる。それは、自閉症という特徴を知っているからです。自閉症という特徴を知っていれば、そうしたいい運動経験がたくさん積めるからです。その意味でもこれまでと同様、自閉症の特徴、ADHDの特徴、学習障害の特徴ということを知っていただくだけで、それだけで、運動が好きになる子も多くなるはずです。そうしたところの取り組みというのもしてほしいなっていうふうに思います。  もうひとつ実際にどういうふうに支援をしていくのか、その支援をしていく時に、今回ひとつは「アダプテッド」。先ほど繰り返し、何度も何度も出てきた「アダプテッド」となります。もうひとつがいわゆるDCDに特化した方法です。いくつか方法があるんですよ。あるんですけど、僕が紹介できるのはひとつこれなので「課題指向型アプローチ」について話します。そしてじゃあDCDへの介入に対する国際動向ってどうなっているのかなっていうのを、最後一緒に確認していきたいと思います。  まず、DDCのアダプテッドについて。アダプテッドっていうのは、いろいろなところでもだいぶ言われるようになったんですけど、まだまだ耳にしない言葉のひとつです。何かって言うと、スポーツは、そもそも我々はそのスポーツのルールに従うんですね。ルールに従う、つまりルールに合わせて僕らは運動してる。それがスポーツです、と言われてる。だから、例えばバレーボールだったら2m43cmというあのネットの高さを、高さがある。それを前提にして僕らはスパイクを打っている。だから僕はたっぱがものすごく小さいからスパイク打つのがなかなか大変。じゃあ、どうやってスパイクを打とうかって考えたらどうするか。ジャンプ力、鍛えるわけですね。実際、僕はこのたっぱで、頑張って、身長少なかったので、ジャンプ力だけはめちゃくちゃすごかったですね。それで鍛えて鍛えまくってそれにジャンプ力でスパイクを打ちまくってたっていうプレイヤーです。それはそういうルールがあったから。だけどもうこの身長で、その身長をジャンプ力鍛えるのはもう年齢的にも厳しいから「お願い、ネット下げて!」って言いたくなっちゃう。そうやってネットを下げてっていうような発想が「アダプテッド」という考えです。つまり障害があるとかいわゆるそうした特性がある、その人たちがスポーツを楽しむためにルールをその人に合わせましょうって考える。それが「アダプテッド」という考え方。だから例えば、車椅子の人がバスケットやりたいって言った時に、車椅子バスケができるっていうのと同じような原理ですね。それ以外にも、例えばですけど、シッティングバレーがあります。けれどもシッティングバレーというものはどんなものかというと、座ってやるバレーボールですね。その座ってやるバレーボールなんかというのもあれネットの高さ1m10cmなんですね。お尻をつけなければいけない、必ず。そういうふうにルールを変えることによって、いわゆる体の不自由な人たちがバレーボールを楽しめるというふうにルールをどんどん変えちゃうわけです。そういうルールをいろいろと変えるというやり方を「アダプテッド」と言いまして、ルール以外でも、例えばですけれども物を買う、または人をつける、人を変えるとか、またはコートを変えるとか、ルールを変える、物、人、スペース、ルールという原則あるんです。けれども、例えばものなんかひとつとってみても、そうですね、キャッチボールをやる。さっきも言った通り、結構ボールを怖がる子が多いんですね。で、なかなかうまくキャッチボールが行かへんなと、その時にこうしたこうね、キャッチの動きをしたい、そうした動きをするのに普通のボールだとやっぱりなかなか来ない。だからどうしたか。我々のアダプテッドの考え。ぬいぐるみを使っちゃったり、それもその子が好きなぬいぐるみとか。そうするとぬいぐるみなので一生懸命自分で取ろうとするわけです。ボールだと今までこんなふうになってた。これを取る。でも、動き自体実は同じ動きなんですよ。だから、そういう動きを引き出すために、あえてそういう物を変える。段々その動きが上手になってきて、さりげなく別のボールをポッて投げちゃうんですね。別のボールを投げて。「おー取れるじゃん!」という。またぬいぐるみにちょっとボールでやってみよう、とだんだん自信がついてくる。そのうちボールだけでもキャッチボールができるようになる。そういうふうにして物をいろいろと変えてみたりとかすることで、うまくいったりする。もう結構うちの研究室なんかも、小さいボールから大きいボールから柔らかいボールから硬いボールから空気が抜けたようなボールからいろんな音が鳴るようなボールとかいろいろなボールがあるんですね。それは「その子が楽しめるようにするためにはどうしたらいいか」ということを考える。道具もいろいろと変えています。バットひとつとってもそうですね。プラスチックのバット、木のバット、それからスポンジ製のバットなどいろんなバットを用意します。その子が打てるという感覚を得るために。「打つ」ということを楽しむために物を変えればよいんですよ。そういうことは、どんどんどんどん療育であったり、家庭の中に入れてほしいんです。そしたら楽しくなります。またやりたいってなる。やりたいってなったらどうするか。繰り返すんです。先ほども言いましたが、運動の原則は繰り返しです。自分からどんどん繰り返してるうちに用向きな動きがどんどん育っていく。そのために物を変えればよい、ルールを変えればよい、場所を変えればよい、どんどん変えることによって本人がやり始めた。そうした経験を積むというのが、アダプテッドの考え方。これはこれでまた1時間程で話ができる内容なのでちょっと少し簡単にします  けれども、それ以外に、今、どんなそのアダプテッドの考え方っていうのは、どういうことか、ちょっと位置づけたものが、こういうものなんですね。ちょっと専門的な用語すぎるんです。けれどもエコロジカルモデルというものがあるんです。けれども本人がいて、その本人が意欲的に取り組むためには、課題を変えよう、環境変えようということなんです。先ほどの物を変えるのも、まさにこういう環境改善。課題を変える。例えばですけれども、ボール投げ、さっきからボール投げの話で申し訳ないですけど、ボールを投げるということもそうです。けども例えば3mぐらいの飛距離のボールだったらキャッチボールができる。それを今少しちょっと頑張れば、5mぐらいまで行けそうかなというふうに、こうやって少しずつ課題を、少しずつ上げていく。もしくは少しずつ課題をこま切れにしていく。こうした発想が、いわゆるスモールステップという発想ですね。で、例えば的に当てましょう。で、的を当てる時に、的を必ず同じじゃなきゃいけないかということです。一人一人変えていいじゃん、的の大きさ。で、それもまた子どもによっては、好きな的もあるし、嫌いな的もある。じゃあそこをいろんな的を用意すればいい、で、的をさらに必ず全部の的を倒さなきゃいけないか、で、そうしなくても一人一人変えればいいじゃん。まず大事なのは当てて投げて、みんなが喜んで、それを繰り返すことによって、運動というのは起こるわけです。もうひとつ重要なこと、課題を考えるときに重要なこと。フォームにあまりこだわりを入れて欲しくはない。ちょっとこれまた後で言いますけれども、フォームにいってしまう。これは自閉症のお子さんが特にそうなんですよ。1回覚えたフォームってなかなか抜けないです。そうすると投げるんですね。結構いろんなところでこう使用されていることはあると思います。123で、この123、ずっとやり続けると。これが投げるになっちゃうんです。これ別に悪いものではないでしょう。実際それで、こう投げれるように、上手になると思います。それがベースになって、こんなふうな動きに変わったりすると思います。だけれども中には、やっぱり、このまま、30歳になってもこのまま。例えばですけれども、この(壇上の花瓶の)お花さんを相手に投げるとします。このぐらいの距離だったら、まだ今みたいな投げ方でいいですよ。(ビデオ撮影位置に関して)もう少し、僕、したらちょっとこちら行った方がいい。ちょっとこちらに来そうなんだけど。この中で言ってほしい。これが、例えば5mぐらい離れる。で、このフォームでしか投げられなかった。そうすると届かないかもしれない。もっと逆に距離近かったらどうか。近かった時に投げようとする時に、この花さん、こんな時に、こんなふうに投げてたら、多分怖いです。でも本人は、それしか知らないんだ。投げる。だから、あんまりフォームにこだわらせてしまうと、それが生涯を通じて本当にそれでいいのか、みたいなことです。だからフォームにこだわらない。つまりむしろ課題に目を向けさせるような指導っていうのが大事。そういう意味では課題っていうのがとても重要になってくる。どんな課題を与えるのかなぁ、なんていうことをちょっと考えていきながらやってるのが、我々のアダプテッドの考えです。  環境なんかも、いろいろな環境をつくっているんですけれども、例えばですけれども、これ震災がありますよね。東日本大震災の時に避難されてきた子どもたち、家族、その家族がある廃校に町ごとやってきたんですね、廃校になった学校なので、高校の廃校だったので、まあ体育館もあればグラウンドがあるという状況なので、その時に僕らちょっと、僕、心理士の仕事もしていた関係もあって、その心理士会から、ちょっとこうした子どもたちのアクティビティを考えてほしいと言われて、行くことになってます。それでアクティビティ行くことになって、子どもたちの様子見たんですけれども、健気な子ども達が多かったんですね。健気な子ども達っていうのは、どういう子かっていうと、震災の状況になって、大人たちが、明日明後日どうしようかって悩んでるわけですよ。その悩んでる時に、子ども達ってその大人をやっぱり見ているので、いい子になっちゃうんですね。子どもらしさが、要はなくなっちゃって、そういうのが親御さんの訴えもあって、なんか子どもらしい時間を作ってほしいというので、体に汗をかこうというのだけじゃなくて、心も汗をかこうっていうテーマで、それでまあ僕らお兄さんお姉さんたちを連れて行って、少し自分の気持ちを解放できるような、そんな活動をしようと。それで高校がやることになったので、体育館あるし、グラウンドもあるから、運動できる場所がいっぱいあるじゃない、よかったと思って、視察しに行ったんですね。そしたら体育館は物資でいっぱいです。上にあたり見てわかると思います。グラウンドは駐車場になってまして、隙間もないですね。そんな状況だったので、近くの公民館ちょっと1.3キロ離れた場所に公民館があったんで、そちらの方に移動した時に、そこはまた10畳ぐらいの場所しかないんですね。そこにひしめくように子どもたちが集まっている状況の中に、さあどうしようかっていう。これもまた「アダプテッド」の考え方。この子たちはそれでも体に汗をかこうっていうふうに、まあこの中でどう楽しむ。例えば、これなんかダンボールの上にお尻を上げて座ってる。それを引っ張る。これ5mでもひけば、結構ないい汗かける。これこういうこの場で新聞破りですね。こういう新聞破りなんかもこの場でできる。つまり何を聞いてるかっていうと、そうした環境があって、その中に体を動かそうと思った。いろんな工夫をすれば体を動かせるんです。僕らの発想の中で、アダプテッドの発想の中に、諦めないっていう発想があって、近くに何かものがあって、物がなければできないんじゃなくって、近くにあるものをうまく活用して子どもたちの動きを、運動を、スポーツを保障していこう、というような考え方。例えば、これ公民館です。公民館に行った時に、最初に事前に連絡した知的の子たちと活動やってるんです。けれどもそうした子どもたちとやるときに運動しますって、公民館にちょっとある別の、さっきの別ですね、運動することになったんです。公民館に連絡したんです。「ちょっと卓球したいんですけど卓球台ありますか」「ありますよ」って、「ごめんなさい、でもネットはありません」みたいな感じ。それなので、ネットだけ持って行ったんです。そして、その現地に行ったら、突然向こうの管理者の方が「すみません、卓球の台もありません」て言われて、それでもうでも子どもたちはやりたくてしょうがない状態なんですが、諦めない、という僕たちの精神が動いて、そこら辺にあるテーブルを集めていって、そこにテープを貼って卓球台にしたというように、どうしたらできるのかなっていうこと、一生懸命考えればいろんな運動が可能かなぁ、なんていうふうに思うんですね。アダプテッドをやるというのは、そうしたいわゆる不器用と言われる子ども達は、いわゆる既存のルールの中ではできないことが多いですよ。ルールを変えたりとか、課題を変えたりとか、環境を変えれば、できることが多いんです。この子たちの特性に合わせればいいから。それを我々大人たちがもう野球はこういうものだ、サッカーはこういうものだ、と決めて、決めつけてしまうからできない。実際サッカーは、もう今やもう手を使ったサッカーもありますからね。ハンドサッカー。肢体不自由の子どもたちと野球やります。その子たちも野球、楽しめてます。どういう特徴があっても、その特徴に合わせればできるんです。それがいわゆるアダプテッド的な考え方で、こうしたことを取り入れていただければ、先ほど言ったようにいろんな運動を楽しめます。不器用であろうが苦手であろうが、と実際、僕はそれを目の当たりにしてるんです。そして子どもたちは、またやりたい、また来たいって言うんですよ。決して上手じゃないです。で、もうひとつ今度はそうしたいわゆる苦手さ不器用さっていうところではなくて、あれがあっても運動が楽しめるんじゃなくて、実際にその苦手さをどうやって克服していくかというところ。そのひとつの方法が、先ほども言いましたけれども、課題というところに注目する。いわゆる「DCDと言われる子どもたちに運動指導します」っていう時に結構多いのは、感覚統合です。日本は特に感覚統合っていうところに今ひとつ注目をして一生懸命取り組んでいる。国際的にも日本の感覚統合の取り組んでいるのは非常に評価されています。その一方で海外全体で見ると感覚統合ももちろんありますけれども、こうした課題指向型のアプローチを主にやっています。なぜか、先ほどのことを目指してほしい。前回りの子に「背中を丸めて」と言う。でも、「背中を丸めて」って言わなくても、ある課題を設定すれば、その子は前回りができる。むしろやれって、やれそれと同じように、やりなさい、やりなさいと、やりなさいと言えば、言うほど、難しい。むしろある課題を設定することによって、望ましい動きを引き出すように、課題を作ってあげれば、その子はいい運動をたくさんできる。DCDの子どもたちがなぜ不器用になるのかっていうメカニズムのひとつに、誤った動きを繰り返して経験してしまっているという例があります。後でちょっと触れます。ボール投げ。先ほどのこれは、いわゆる自閉症の典型的なパターンみたいなんですけども、そうじゃない方であっても、実は今みたいな動きをしているIQ120の子、その子は小学4年生までその動きになってしまう。いわゆる誤った動きを獲得して、そこから抜け出せなくなってしまう。その後にこうじゃないよ、ああじゃないよ、って教えてもなかなか難しいです。後で触れます。その子はそれでいわゆる比較的、効率的ないい動きに変わってきました。それはどういう風な方法をしたかというと、この課題指向型のアプローチです。具体的なところで言います。例えばこういうのですね。これが課題指向型のひとつです。何のことないですけど、ここにくっつけるだけです。これはドッジビーです。ご存知の方、ドッジビーだとわかると思います。そのドッジビーの淵をベルクロでくっつけるんです。で、今、メガボールっていうのがあると思います。けどそのメガボールの走りの部分です。メガボロス、ご存知の方はわかります。投げたら布にピタッとくっつく、それのディスク版です。「Herodisc」っていう会社なんです。けれどもその「Herodisc」の社長さんにお願いして作ってもらったっていう、特注の特注なんですよ。あまりにもコストが高いので、商品化されなかったんです。けれどもだから世の中に2セットしかない、3セットかな。そのうちの1セットがうちにあるという貴重なやつなんですけど、そういうのがあって、これもそうなんですね。ディスクって結局本来はこう(横に持って)投げると一番上手に正確に遠くまで、でも多くの子どもたちはこう(縦に持って)やって投げちゃう。最初それをどうやったらこう改善できるか、逆にひとつのフォームの力だ、123と教えます。だけどこれに当てて見てもらって、これにくっつけてみてもらって、こうやるんですよ、で、その動きを出していっていくうちに、次第にこういう動きに変わっていくというふうに、こういう課題を設定すると、ああいう動きが出るじゃん、みたいな。もしくはこういう動きを出すためには、どんな課題をするといいのかな、みたいな発想が課題指向型のアプローチで、この子は全くボールが投げられなかった。この子は非常に知的に重たい子だったので、なんですけど、いわゆる自閉症的な特徴もあった。そうした子に対してどうやってこうボール投げが、この子は今ビョンビョンビョンビョン投げられていますけど最初は全く投げなかった。もう投げてって言っても投げない。でもどうしたかっていうと、この子は、この子の興味関心が、ボールがくっつくことだったんですね。何かがものがくっつくこと、じゃあそれを利用してやろうと思ったので、まず最初に下に置いたんですね。これを真下に置いてこの子は手を離すことができたので、ボールを離すことができたので、こうやってやったんですね。そしたらピタッと下にくっついて、それでちょっと斜めにする。斜めにしたのに転がらないっていうところに興味を持ってくれたんですよ。よしラッキーと思いましたね。そこでそしたら、もう何回も投げ始め離し始めるんですね。ボールを離す。どんどん離す。いろんなボールをどんどん渡す。ピタッピタッピタッ、くっつくのが楽しくなる。そして、それを立てかけるんです。立てかけたらどうしたか、こういう動きに変わっていく。結局、何もフォームを教えないまま、この子はもうバンバンにボールを投げることができる。つまりフォームは教えてないです。フォームは教えてないんだけども、そうした動きに変わっていく。こういうことが課題指向型のアプローチということです。これは原理で言うと、いわゆる障害、運動する時に邪魔になってるものなんですね。運動の障害を改善するのが、いわゆる、例えば環境要因もそうですけれども、そうしたこう、もとにあっている問題を解決する方法していこうとするのが、いわゆる障害の部分を少しでも軽減していきましょう。動きの、協調性の動きの部分のその本質の部分をどんどん改善していきましょう。だけど課題指向型の発想っていうのはダイナミカルシステムズアプローチというのがあって、他のよいところあるじゃん。いっぱい他のいいところいっぱいあるから、それを課題をすることによっていろんな他の力も使って課題解決しよう。つまり障害の部分も、もしかしたら残ってるけれど、でも他のいろんな力を使ったら、結果的に日常生活の支障を低く下がるんじゃないっていう発想です。それが結果的には運動そのものを育てていくことになるという原理。例えばですけれども、自転車乗る時にどういうトレーニングをするとよいか。で、例えばですけれども、感覚的にいわゆる、こう、平衡感覚を繰り返し練習して、その障害の部分を少しでも改善するために平衡感覚や運動覚っていうものに刺激をどんどん与えることになると、じゃあ自転車乗れるかっていうとそうではない。自転車っていうのは、それ以外の力もいっぱい統合させて、初めて自転車です。自転車に乗るという日常生活を満たすためには、単にそこだけに頼らずに、そこだけではなく、プラスしてこうした課題指向型のアプローチをすることによって、自転車に乗れるようになる。そもそも自転車に乗せるっていう時の発想としていえば、例えばいわゆる一般的に自転車の練習する時は、よく後ろから押してこう乗れてるなって、バランスとれてるなって思ったら、手を離して、おお、気づいたら一人で乗れてますよ、みたいなのがありますけど、あれと同じような原理を結構使っています。僕らは後ろからじゃなくって、ハンドルのところを持ちます。ハンドルのところを持って、そして前からこうやって押してると引っ張るような感じです。なぜそうするか。いわゆるDCDのタイプの子っていうのは、右手と左手の動きが同時に動いちゃうことがあります。それが右が動かそうとすると、本当はこっち(左側)で、右が動かないところを左で調整するわけですね。だからそれはうまくいかないから、結果的に非常にこうこういう波うつ形とそれをもう正しい動きにさせるために、あえて固定しちゃうんですよ。抑えた状態にしてそれを何回も繰り返してるうちに、脳みそにそういう刺激が入っていって、いわゆる協調系の運動は難しいんですけども、それ以外の筋力であったり、それ以外の様々な動きをまた認知的な力も使うんですけども、そうしたことを繰り返しているうちに、ここが固定化されていく。固定化されていくと結果的には自転車が乗れてしまってるっていうような、これは海外でいくと脳性麻痺の子たちでさえ、そうした運動、あの自転車乗れますよ、みたいな事例も実際に見させてもらっています。これは課題指向型アプローチの発想です。こうしたことも非常に効果的な方法であるよっていう。具体的なところに行きます。先ほどちょっと話しました。IQ120の当時、自閉症と言われたお子さんですけれども、当時の投げ方、こんな投げ方、小学校4年生の子でいわゆる誤学習してしまった、もうこういう投げ方じゃなきゃ、うまく投げられないんだと、自分で言っています。こうじゃないとうまく正確に投げられないんだ。それが最終的にはこういう投げ方をします。ひねりが入って、そしてテイクバック。そして投げてフォローするっていう、ちゃんといわゆる投動作の原則っていうのが見られてる。これをどうやって教えたか。ここは大事なポイントです。「粗形態」「精形態」って書いてあります。けれども、どうやって教えたかというと、ひとつは的を使っています。的があって、その的が当たると倒れるようになっています。最初は一番上のような動き。この動きでも倒れるぐらいの的にしてます。だから当てたら倒れるんです。嬉しいですね。楽しいですね。どんどん投げます。大事なのは投げるという気持ちが大事です。どんなフォームでやろうが、どんなに不器用と言われるような動きにも倒れるんです。よし倒れないと。よしじゃあ今日から少しレベルが上がっていきます。この的はなかなか倒れないんですよ。ちょっと難しくする、で、そうすると、今までの投げ方では倒れないんです。どうしようかって言うんですね。これまさに課題を、課題指向型となっています。では「いい?走ってやってみてごらん」って言うんですね。走らせる、走って投げるって、どういうことかって言うと、ボールのエネルギーの保存の法則と、全く一緒。物理学的な法則とまったく同じで。ここからボールをリリースするまでの長さが、長ければ長いほど、ボールはエネルギーが高くなる。なので走ればその分だけたまるので、離した時には速く強くなる。だから走らせる、走らせる。これは幼児のボール運動の指導でも入ってくる。それをやったらどうなるか。「おお、倒れる!」ってなっちゃう。「よし、じゃあ走って。やってみてごらん」って言うと、どんどん走らせるんですね。ダダダダ、倒れたぞ、ってなる。だいたい、倒れる倒れないっていうの割合が、当時は5割〜6割ぐらいにしてたんですけども、今のものの本によると、成功確率が7割ぐらいがいいんじゃないかというふうに書かれてあることが多いんです。けれども、当時はちょっと僕は厳しめだったんですけど、それでもそのぐらいで倒れるぐらいの的を設定しました。そしてそれをやっていきました。今度はさらに課題が難しいです。「じゃあ、いい?」って、今度はこのマット、マットの上で走って、1m80cmのマットを置く。その1m80cmの中で走って、それでも倒れるように設定してあるんですけれど。1m80cm、1m80cmの中で走るので、ちょっとこちらから見た方がいいですね。こっちに的があります。ダダダダ、ボン。それを今度90cmにするんです。課題がさらに。そうするとどうするか。ここの半分ですね。この半分からひねりが出始めるんですよ。で、本人は、的は倒れる、何とかしたら倒れるというのはわかっている。だから倒したいんですね。倒したいっていうのを満たすために、走ったらこう倒れるということわかった。そうすると何とかして走ってるような動きをする。ひねりの動きになってる。自然とそうした動きがでてくる。さらにボールを渡す位置を、今までどちらかというと本人の前で渡して投げていたんですね。どんどん倒すため、それで今度は後ろから渡すんです。そうするとテイクバックの、さらにこうなると、ひねりの動きがますます多くなるので、的が倒れやすくなっちゃうんですね。そしてそれを結構繰り返してるうちに、あの動きに変わっていた。だから決してフォームは教えてないんですけど、本人は的を倒すことしか考えない。的を倒すことを意識しているので、フォーム自体気にしてない。フォームを気にしているのは僕たちなんですね。どうやったら動きが出てくるかな。本人には意識させる。先ほどよりフォームを気にさせすぎると、そっちに意識しちゃう。意識いっちゃうと、それが結果的にその子にとっての「投げる」になってしまう。投げるというのはあくまでもこっちだったりですから、そういうようなことを経験をさせていったっていうのがこの課題指向型のアプローチといわれるやつです。ちょっと実際にこれがシーンですね。こんなふうなシーンからは2回目、4回目の時には、こんなふうにひねりが入ってみますよって。さらに8回目がこうなりますよ。9回目ではこんな感じですよ、みたいなね。どんどんどんどん変わっていくという。そんな変化みたいなものが見られていく。これは連続写真を撮ってやってみたんですけども、1回目の時っていうのはボール。これボールの軌道なんです。これは肩の軌道。これが手のひらの軌道、肩の軌道なんです。けれども、いわゆるここの幅が短ければ短いほど、すごく時間がゆっくりです。これが長ければ長いほど、早い。だけど、この特に、この手のひらの、手の動きを見ていただくとわかるんですけれど、まだ実は一般的な投げの動きになって、まだこれムチ運動になってない。ムチ運動というのは、まだこういう等速系の運動な、等速系も等速で、いわゆる動きがムチ運動的になると、ここだけ初速が速い。あとはゆっくりそんな動きなんですけども、これを後半はどうなってるかっていうと、これ後半なんですけど、こういうふうに、最初はビュンって速くて、ゆっくりシューッ、けれどもこうしたムチ運動みたいなものが出すのは、指導した時には極めて難しい。だけど課題指向型に持っていくと、結果的にそういう動きになりやすいというのは、事実で、こういう動きが科学的にもちゃんとうまくいっているというひとつの例です。  これがいわゆる課題指向型のアプローチという、もう少しおさらい的に言うと、まずどんな動きを引き出したいのかなって、今だとオーバーハンドスローという、こういう動きがある。この動きが出るためには、どんな課題を作るとこんな動きが出るかなぁ、なんていうことを考える。そのためにいろんな課題を考え、実は、その子、この子じゃないんですけど、別の子なんですけれども、この同じような動きが出るようになった、同じような動きが出るようになる。でもいわゆるもっと効率的な動きっていうのは、投げる時に左肩が上がって、そして投げ終わった時に、いわゆるリリースする時に、右肩が上がってる時に、健常と言われる子どもたちは、大体このような動きになってきます。遠くに投げよう、早く投げようとする。だけど実は自閉系の子達っていうのは、ここは結構、水平になると思います。で、これ改善できないかなって、同じ自閉症研究をしてる、共同研究の仲間と、なんとかこうした動きを少しでも改善できないかな、と思って、それをいろいろと課題を考えます。ネットのここら辺の、ネットを置いて、そのネットを超えて投げるという。そうすると、この動きに変わるんじゃないか。やったんですね。確かにそのネットがある時に、ちゃんと行くんですよ。よしよし、うまくいったと思ったんです。けれども日常的に、日常的な場面で、キャッチボールをさせると、やはりこういう動きになっちゃうんです。きついのでちょっとこれは限界かなっていうので、これがなかなか、これがあったからといって、その絶対に、こういう動きをさせなきゃいけないっていうわけじゃないんで、それでもちゃんと運動自体は楽しめてるんで、もうこれでいいんじゃないかっていうので、その子に対しては、そこでボール投げみたいな課題は一旦ここで終了させた、というのがあります。そういうふうに、いろいろと我々もいろんな課題を考えながら、その子の動きを引き出すということをやります。つまり課題がうまく考えて、そのことによって、その子はどんな動きが出るかな、というふうに考える。これは非常に魅力的な部分でもあり、結果的にはDCDの子どもたちにとって、非常に有効な方法です。特に体育、またはその運動指導、スポーツ指導されている先生が、もしいらっしゃれば、フォームを教えることによって逆にぎこちなくなってしまうようなケースがあったとしたら、この方法はいいです。やってみるといいと思います。  で、えっとちょっと、残りの時間を使って、国際動向の話です。今回、事前にいくつかご質問いただいてはいるんですけども、その中の回答は、これまでの話の中でも、ほぼ回答できていることがあると思いますが、こちらの方でも回答できそうなものがあるので、お答えしたいと思います。本当はここら辺をバタバタ動きたい人なんですけど、ADHD系の特徴を持っているものですから、でもちょっとあの、動画の関係で、ここに留まらなければいけないので、非常に窮屈な状況にあります。それを置いといて、申し訳ございません。DCDの国際的なガイドライン、DCDの子たちにはこういうふうに指導するといいですよっていう、案内板です。これについても賛否両論、実はいくつかあるんですけれども、基本的には比較的なんて言うんですかね、公平な内容で作られてるんじゃないかなというふうに思っています。その中には介入のところが書かれてあって、インターベーション、介入ですけども、ここら辺のことについてちょっと話をしたいと思います。この国際ガイドラインの中に、どんなふうに書かれているか、全部一応日本語に直している部分と、まあそうじゃない部分があります。ひとつ、1番、ま、これRecommendationって書いてあるのは、要するに、公式で欲しい推奨ですね、推奨している。その推奨の中にいくつかと項目があって、その15番目ですよっていう意味です。何か書いてある、DCDの診断を受けた子どもで、症状が明確にある場合は介入しましょう。つまり何らかの指導してください。つまり指導介入をしないと、その子のDCDは改善しませんよって話です。実際にそれはもう僕もそうですけれども、実際来て関わらせて指導させていただくと変わる子は変わる。それから先ほど言ったように、運動発達自体は伸びないかもしれないけれども、その子の運動そのものへの参加は変わるというのもあります。なので、そういう意味では、何らかの介入が僕は確かに必要だというふうに思っています。それから介入を考えるときに、子どもの弱いところだけじゃなく強いところ、強みになっている、ストロングの部分ですね。長所と言われるんですね、も、ちゃんと活かすように推奨してください。つまり得意な運動はどんなところで、DCDだからって全部の運動が駄目ってわけじゃないんですよ。で、その中でも比較的、本人が楽しめそうな運動っていうのがあったりとかします。そういうところをちゃんと理解をする。そしてそうしたことをきちっと活動の中に入れてあげる。またはそこを活かしたゲームを作ってあげる。なんていうのはすごく重要なので、その子の運動のいいところ、または性格も含めて、そういういいところをちゃんと理解しましょう。なので、インテーク、僕らのプログラムを作る時にまず最初に親御さんとお話をしたりします。その時にインテーク面接っていうのがあります。けれども、その時に必ず本人の得意な運動なんですか、この子のいいところはどういうところですか、というようなことを聞いたりとかすることをしています。そうすることによって、そうした情報を入れることによって、実際に活動の中で、じゃあちょっとこれ入れてみようとか、これをベースにして本人の運動意欲をかき立てようとか、そんなことを考えたりとかしています。で、「介入の計画する時には、効果に関する根拠を持って検討することを推奨する」、これめちゃくちゃいろんなこと書いてあるんです。けれども要は効果というのが、ちゃんと科学的に示されてますか、みたいなこと。まあ実は、まあ、DCDを含めて発達障害への治療に関しては様々なものがあります。それに関して必ずしも本当に根拠があるのっていうような部分っていうのも、いくつかあります。それこそ、ただひたすら、運動を繰り返せば、その子の全人格的な性格も含めて良くなります、なんていうようなことが、本当にもう大丈夫かっていうようなことが書かれたんですもんね。もし本当にそうだとしたら、うちの体育の学生、みんな素晴らしい聖人になってんじゃないかと思うんです。けれどもそうかなみたいな学生もいるもんですから、運動だけきちんとやっとけば、きちんとそうなるかと思います。むしろ、大事なことで本当に根拠があるかどうか、そういう根拠を持って、きちんとやっていっている内容なのかっていうのも、我々しっかりと見ていく必要があると思います。そのためにもいろんな研究っていうのがあって、そうした研究がどんどん盛んに行われていくというのも、ひとつ重要な部分だと思うし、その中にちゃんとデータがしっかり載っているような研究っていうのは、とても大事になってくると思います。まあそれは我々大学の人間、また研究者の人間の課題だというふうに思っているのでこれからも引き続き頑張っていきたいなと、僕は2011年10年、11年の頃からやって始めた世界ですけれども、その前の頃からすでにこうしたDCDの研究をやってきた日本の先駆者たちもいらっしゃいます。そういう人たちが、今、第1世代の人たちなんですけど、今、第2世代の人たちも動き始めてきていて、だいぶこのDCDの研究もかなり盛んになってきました。ぜひそうしたものが、どんどん、どんどん広がっていって、そして根拠がある実践が広がってくるといいなと思っています。で、こうした根拠、科学的な根拠に基づいてやってほしいという、それ以外にもちょっとありますけど、ここは少し飛ばさせてもらってですね。介入を計画した時に、ここ大事なんですね。運動に付随する社会心理的な面にも目を向けてください。つまり運動さえ解決すればいいみたい。そうではなくて、ちゃんとその子が、例えばその運動することによって、何か心理的に影響はあるのか。先ほど言った運動有能感であったりとか、運動に対する自信であったりとか、運動の肯定感、セルフエスティームみたいなものとか、または社会集団の中でどうなのか、そうしたことにもしっかり目を向けてほしい。例えばなんですけど、実際、僕らの活動の中で運動のスキルは確かに上がった子がいます。上がったんだけれども、その後体育の時間、実は全く参加してなかったこと、後から気づきました。なぜ参加しないか。そこだとやっぱり下手って言われるから。僕らの活動では下手って言われないから、どんどん、どんどん意欲的に取り組んで、そしてその中で確かに確実に運動は育っています。でも、その子の育ちの部分と他の子の人たちは違いますから、当然差はあるわけですよ。だからそういう意味では、どんなに頑張ったってどうしてもそうした社会的な部分でマイナスの影響を受けてしまう。そのことを知らないで関わるっていうのが、僕は危険だなと思ったんで、それ以降は日常生活でどんな様子なのか、っていうのを聞き取り調査をちゃんといれた形で、指導させてもらっています。つまり、どんなにその子が少しでも、社会の中で、例えば学校という集団の中で、またはそれ以外の場面の中でも、ちゃんと運動が使われてるのかなって、運動してるのかなっていうのを確認しながら、またそこにつなげていくような声かけをしていきながら、またそこにつながるような種目を選びながら、そんなふうにして、日常生活につながっていくという、そういうことを意識したような療育的なものもやり始めています。そういう意味でも、社会心理的な面にきちんと目を向けていくっていうのは、とても大事。そしてそういう意味で、今、言ってた自己意識の部分を把握しておきましょうねっていうのも同じことです。つまり運動だけを見ない。で、運動発達が育つためには、僕は認知発達、社会性発達、その他の発達っていうのは、とても大事だと思っています。当然、社会性の発達を育てるためには、運動も大事だと思います。いろんな発達領域が仲良く育つことが、やっぱり大事だというふうに思っているので、運動が苦手だから運動だけやりましょう、ではなくて、運動させるために、ぜひ認知的な部分、社会的な部分も含めた指導っていうのは、僕はとても大事だというふうに、で、そういう意味でも子どもの状態を見て運動面か、そうでない面の両方見て何を先に介入するか、というのがあります。もちろん運動の問題があるから、当然運動の解決を図るというのはあるんだと思いますけれども、実はそれ以上にこの子はむしろ心理的な部分を、まず解決させてあげた方がいいというのがあります。例えばなんですけれども、やっぱり参加に対する意欲がめちゃくちゃ低い子に、ただ運動させればいいじゃなくて、まずその参加意欲っていう、意欲の部分に目を向けたような指導、つまりもう運動させないんですね。そういう時はね。むしろ逆に運動しないでいいから、ちょっと「自分の好きなこと何?」「パズル」「よし、じゃあ……」、運動の指導なのに、ずっとパズルをやってるんですね。だけど、そうやってパズルをやって意欲が出てき始めてきた、ちょっと体を動かしてみようかって、少しちょっと体がなまってきたから、始めようかで始める。それでもいいと思います。でも大事なことは、本当に、今、まずこの子に何が必要なのっていう時に、運動指導者だから運動しましょうっていうようなだけでは、僕は違うかなって思ってます。本当にその子を見るということが大事だと思います。こちらが「Recommendation22」って書いてある新聞のやつなんですけども、この中にいわゆる課題指向型のアプローチというのが結構大事ですよ、ということが書かれてあります。ここの表現の中では、活動指向、参加指向型の方法を推奨するって書いてあるんですけども、要は今みたいな方法ですね。先ほど言ったように、そのフォームを教えるとかではなくて、課題とかそうしたものを環境とかを整えた形で、指導していきましょうねというようなそういうことをやりましょうよって、その方が効果がありますよって、いうふうなことが書かれています。それ以外にもちょっといくつか、その中に例えばNTTとかCO-OPっていうのがあるんですけれども、今はもうDCDの子どもたちの運動指導の、今はもうDCDの子どもたちの運動指導の代表的な本の中にCO-UPっていうのがあるのですけれども、そのCO-OP、なんかもこういうガイドラインの中には名指しで効果的です、というふうに書かれたものがあります。このCO-OPを作られた、日本で紹介してくれた先生は、僕も一緒にいろんなところで活動させてもらっています。それ以外にもいくつかあるんですけれども、最後にお伝えしたいのは、必ずいろんな人との関わりというのを考えてほしい。つまりここには、親や教師、重要な他者、その他の関係者をサポートすること、を推奨しましょう、と書いてあります。つまり、いわゆる運動指導者が運動指導だけを頑張ってやるんではなくて、そこに関係する、その子どもにとって関係する人たちを、ちゃんと巻き込みながら指導してください、という、これはもうある意味、今やもう当たり前になってきている考え方で、エコロジカル的な考え方ですけれども、単に自分のとこだけうまくいけばいいって話ではなくて、いろんなところに広がっていく、ということを想定して、その人たちが自信を持っていけるように、周りの人たちを自信を持っていけるように、サポートしていく、ということもやっていこうねっていうので、まあ、僕、家族参加型のスポーツ指導にしているというのも、親御さんが少しでも運動に対して興味を持ってくれる、そして子どもと運動を楽しんでもらう、そういう場づくりをやろうということで、ああいう活動をしています。それ以外にも、人との様々なサポートの仕方ってあると思うんですけど、こうしたことを大事にしていきながら、これからもやっていこうと思っています。実は今DCDマニュアルっていうのが出ています。で、これ最近、本当に最近出ていて、あの僕の仲間、DCDに関係するような仲間たちの中でも、いわゆる第2世代と言われる人たちなんです。その人たちがタッグを組んで作った内容です。この第2世代だけじゃなくて、第1世代の人たち、岩永竜一郎というのは、もうDCD業界では有名人ですね。ここら辺(第4章辺り)が、結構、第2世代です。残念ながら僕の名前が入っていないという、別にハブられたわけじゃないんですけれども、今回このマニュアルに関与していないですけれども、これを推奨してます。これを、このマニュアル非常にいいです。ぜひ、多分、みなさん方のお答えがこの中にもあると思います。じゃあちょっと、もう少しまとめて欲しいとは思ってるんですけど、内容はいい内容、伝えたいです。ぜひ、見ていただきたいと思います。僕自身はDCDに関係する本は結構、多分国内の中では、結構トップレベルで本を出させてもらっています。だけども先ほど、今第2世代が大活躍しているので、そろそろもう僕は次のバトンタッチしてる状況なんですけど、いくつか本があります。とてもいい本ばっかりです。いい本ばっかりって、自分の本、別に褒めてるわけじゃないんですよ。中身を書いている先生たちが、みんな、いいです。僕は編集してるので、一番最初にそういういい人たちが書いてる本を、最初に見れるという特権があるっていう意味で僕はラッキーなだけで、結構いい内容なので、ぜひ、よかったら見てみてください。とてもいいです。さぁ、今日のまとめとして、少しでもDCDの子どもたちが、運動やスポーツに近づく、決して上手じゃなくてもいいです。ほどほど楽しんでくれるっていう、そんな世界が、広がっていくといいなと思って、これからも頑張ってあの僕は最後死ぬまで現役だと思っていますので、子どもたちと関わりながら、家族と関わりながら、頑張っていきたいと思います。みなさんも、ぜひ、そうした点で、またお力になっていただけたらと思います。では、最後まで見ていただきましてありがとうございました。